織田 信長『発想の転換』前編

■土地を財産とする
日本人の価値観

「いま、日本に必要な政治家や経営者を、歴史上の人物に求めると、だれでしょうか?」

と、よく聞かれる。そのたびにわたしは、

「織田信長か坂本竜馬でしょう」

と答える。二人には共通点がある。次のようなものだ。

●グローバリズムを身につけていたこと。

●商業の大切さを知っていたこと。

●いきおい貨幣経済の進展に目を向けていたこと。

●日本人の旧価値観を破壊し、発想の転換をはかったこと。

●経済の成長を文化の振興に求めたこと。

などである。

信長の場合から検証してみる。信長が破壊した「日本人の旧価値観」というのは“一所懸命の思想”だ。日本人は日常
“一生懸命”という言い方をしているが、本来は間違っている。消耗品を“しょうもうひん”というのと同じだ。“しょうこうひん”が正しい。お医者さんは“心神耗弱”を“しんしんもうじゃく”とは言わない。“しんしんこうじゃく”と正しい読み方をする。

一所懸命というのは、

「一つところに命をかける」

ということである。一つところというのは土地だ。戦国時代まで日本人の価値観は、土地を至上の財産と考えていた。だから、

「一坪でも所有地を増やしたい。所有地を奪おうとする者とは、命がけで争う」

というのが一所懸命の思想だ。

戦国時代に、主人が部下に与える給与や褒美は土地だった。信長は天下(日本)を統一していく過程で考えた。

「土地だけを給与や褒美として与えていたら、日本は狭い国だから、やがて限界がきてしまう」

では、どうするか。

「土地に代わるようなものを与える必要がある」

信長はそう考えた。

イラスト

■茶道をもって文化を向上
そして経済を成長へ導く

たまたま信長は茶道を学んでいた。茶道では茶道具だけを大切にするわけではない。茶を立てる場所(茶室)、茶室に掛ける書や絵の軸、生け花とその器、主客の衣服、茶のあとの食事、庭の造作など、いろいろな方面にひろがりをもつ。くくっていえば“文化”と名のつくものだ。

もしも茶道文化を日本人の新しい価値観にするなら、やきものなどの茶道具、建築、良質な材木(山林事業)、造園
(花き栽培や庭石などの選定)、書画骨董の発達、衣類の改良、料理の普及など、人間生活のありとあらゆる面におよぶ。
つまり、

「衣食住の全面向上」

がはかられる。つまり、

「衣食住足りて文化を知る」

という、豊かな社会が構築できる。信長はさらに、

「その文化の向上を、経済の成長にリンクさせたい」

と考えた。そうなるとその頃の、

「土地を最高の財と考える一所懸命の思想」

は、じゃまになってくる。それに信長は天下統一のために、

「新しい組織管理と部下の評価法」

を実行しはじめていた。いまでいう、

「経営改革」

である。改革というのは、三つの壁への挑戦だ。三つの壁というのは、

一 モノの壁(物理的な壁)

二 しくみの壁(制度的な壁)

三 こころの壁(精神的〈意識的〉な壁)

のことだ。信長の改革は、この三つをぶち壊すことだった。しかしこの三つの中で、一番壊しにくいのが、三番目の「こころの壁」だ。いまでいう、

「部下の意識改革」

だ。信長は、

「意識改革を行えば、ほかの二つは自動的に壊せる」

と思った。それにはまず、

「一所懸命の思想」

を破壊することが先決だ。この思想は土地に対する欲望だけではない。

「改革を嫌がる考え」

につながっていく。つまり信長の組織の近代化、合理化、科学化などに対し、

「総論賛成・各論反対」

の態度をとる。現場にいくほどこの考えがつよい。それは、

「現在の組織や仕事に執着する、しがみつきの精神だ」

信長の考える“一所懸命”とは

「改革を嫌がる古いものの考え方」

ということになる。

信長は心に決めた。

「よし、茶道文化を経済化するために、身近なところから改革をはじめよう」

具体的には、

「部下への給与や褒美の質を一変させる」

ということがあった。

(つづく)

おだ のぶなが(1534〜1582)

安土桃山時代の武将。尾張(愛知県)の守護代織田信秀の次男。若い頃は傍若無人な振舞いが多く「大うつけ」と馬鹿にされたが、父の死後、尾張を統一。西上する駿河の今川義元4万の大軍を、わずか2千の兵で急襲し、見事に討ち取って天下に名を轟かせる。その後、京に入り征夷大将軍となるが、天下統一を目前に家臣の明智光秀の謀反により波乱万丈の生涯に幕を降ろした。

どうもん ふゆじ

どうもん ふゆじ

昭和2年東京都生まれ。東京都庁の重要
ポストを歴任。退職後、執筆活動に入り、
主に歴史小説、エッセイを多数発表し、第
43回芥川賞候補にノミネートされる。日
本文芸家協会、日本推理作家協会会員。