人の器、経営者の才覚 坂本 竜馬『平和もモノの交流から-竜馬の海援隊-』後編

■民主平等の思想で
運営された竜馬の海援隊

坂本竜馬は、犬猿の仲だった薩摩と長州をモノの交流で結びつけ、念願の薩長同盟を実現させた。また、亀山社中
という貿易会社を志士たちと組織して、経済面から倒幕の力を持とうとした。

当初、船は薩摩に出資させて購入したが、あえなく航海中に嵐にあって沈没。そこで竜馬は、郷土の土佐で台頭してきた後藤象二郎と手を結び、再び船を手に入れた。蒸気船には「いろは丸」と命名。

そして組織名も亀山社中から「海援隊」へ改めた。

竜馬が海援隊を組織したのは、

「薩長連合を、国際的に広めよう」

という大きな志があった。かれの頭の中には、

「海は全部つながっている」

という考えがあった。つまり、海や川を通じての“水の道”は、境などまったくない。それを、

「ここから内部は、うちの海だ」

などと考えることが、竜馬にとっては理解できないのだ。かれがつくった海援隊の規約はおもしろい。

●藩(大名家)を脱して自由になった者は、みなこの隊に入れ。

●海援隊は、ただで給与はもらわない。自分で稼ぐ。

●事業は貿易とする。

●隊員の給与は平等とする。隊長もこの例外ではない。

と定めた。当時はまだ日本国内は厳密な“タテ社会”だった。竜馬はそれを“ヨコ社会”に変えようとしたのである。
そのかわり、海援隊に入る者は、

「藩から脱して、自分で自分を解放した自由人でなければならない」

と規定した。それは、

「海に国境などなく、自由な水の広場だからだ」

という考えがあったためである。これは明らかに、当時の幕藩体制という高密度管理社会に対する抵抗だ。そして
さらに言えば、

「学歴よりも学力を尊重する」

「技能別・職能別の連帯を強める」

ということである。さらにこの海援隊では、

「研修を重んじ、後進の育成に努力する」

という項目がある。これも海援隊がときに

「密輸機関」

ではないのか、と言われたことに対する、竜馬の反発だろう。当初海援隊は、かれが生まれた土佐藩(高知県)に
属した。そのため最初は土佐海援隊と言われた。しかし活動しているうちに、竜馬は自分でこの「土佐」をはずして
しまった。かれにすれば、

「おれの海援隊は、土佐藩だけのものではない。日本国全体のものだ」

という気持ちがあった。

イラスト

■モノの交流をきっかけに
互いの主張に接点を見いだす

幕末ぎりぎりの段階になって、いよいよ倒幕が成功する、という見通しが立ったときに、明治新政府の高官に予定
されているある人物が竜馬に聞いた。

「きみも、新政府に入って閣僚になってもらいたい。なんのポストを望むか」

すると竜馬は笑ってこう答えた。

「いまさら、堅苦しい役人になどなりたくない。それよりも、おれは世界の海援隊をやりたいのだ」

当然、新政府で政治家として活動すると思っていた者たちは、この竜馬の言葉に度肝をぬかれた。

「竜馬はおれたちより、さらに器が大きい」

と誰もが思った。

何と言ってもこの“世界の海援隊”といういい方がおもしろい。このころの竜馬は、

「世界紛争は、絶対に武器や戦争によって解決してはならない。同じテーブルについて、話し合いによって行うべきだ」

と考えていた。そして、

「そのためには、国際間に通用するルールが必要だ。それが国際法だ」

と主張していた。しかし、そういう平和的な考えをする竜馬は、武力倒幕派にとっては邪魔だった。維新直前の、
慶応三(1867)年11月15日(奇しくもこの日は竜馬の誕生日だった)に、かれは暗殺されてしまう。しかしかれの

「平和の締結も、最初はモノの交流からはじまる」

という現実的な考えは、現在でもそのまま通用する。それには、

「相手を認めるか、否定するか」

という二者択一の是非論では片はつかない。互いの主張の中に、ある接点を発見し、

「是非でない、第三の道を探る」

ということが大切だ。坂本竜馬はそれを行った。そして、その第三の道の発見には、

「絶対に、お互いに必要とするモノの交流を欠くことができない」

という視点は、もつれた麻の糸を、見事に解きほぐしてくれる。

さかもと りょうま(1835~1867)

幕末の土佐藩、郷士の次男坊に生まれる。名門、北辰一刀流免許皆伝の剣客。脱藩後、勤王の志士でありながら幕府の勝海舟に入門し、神戸海軍操練所で修業。その後、薩摩の西郷隆盛、長州の桂小五郎らの援助をとりつけ、海運貿易会社、亀山社中(後の海援隊)を組織する。また土佐の後藤象二郎と手を結び、幕府の大政奉還を実現させる。無血革命という偉業を達成するも、京都近江屋で幕吏に襲撃され、太く短い生涯に幕を降ろした。

どうもん ふゆじ

どうもん ふゆじ

昭和2年東京都生まれ。東京都庁の重要
ポストを歴任。退職後、執筆活動に入り、
主に歴史小説、エッセイを多数発表し、第
43回芥川賞候補にノミネートされる。日
本文芸家協会、日本推理作家協会会員。